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コーナータイトル/今月の顔
谷田川さんの写真
谷田川和夫(やたがわかずお)さん

 小学校で40年、大学で13年の教師生活をおくってこられた根っからの教育者。歴史教育者協議会、日本生活教育連盟などが研究・活動の場。町田の教育をすすめる市民の会事務局で活躍中。

1928年生まれ 町田市南大谷在住 不況から軍国少年の時代に小・中学生時代をおくる 父親の「こんな戦争で死ぬな」という考えのおかげで生き残るが、家族で3人が戦争の犠牲に 1949年から、都内の小学校教師40年、大学で13年の教師生活。社会科とりわけ憲法・平和教育に力を入れる 現在は、シベリア抑留生活、中国戦線、硫黄島玉砕の生き残りなど、戦争の実体験の継承者の会「朝風の会」(会員約100名、平均年齢80歳代)で、月刊同人誌の発行を担当

今だからこそ平和を語ろう

 「この思い、伝えねば」の一念──戦争体験者の同人誌を編集して

 私は少年期を戦時中に過ごした戦争体験世代だが、「戦闘」体験者の年代には届かない。縁あって戦闘体験をとおした戦争体験継承の同人誌の編集に当たっている。会員は満蒙開拓青少年義勇軍、シベリア抑留、硫黄島全滅の生き残り、中国侵略転戦兵、最も死亡率が高かったといわれる船舶兵、そして野戦病院従軍看護婦など生の体験を語る最後の世代約80名。70歳代後半から90歳代まで、おそらく静かに余生を送ることを願う世代だろう。

 その人たちがなぜ、けっして少額とは言えない会費を納入して、体験の語り部として同人をつくるのか。

 機関誌は約40ページ、月刊である。原稿の催促、依頼は一度もしたことがない。しかし、原稿は確実に私の元へ郵送される。そればかりではない。月額500円の会費では、機関誌の発行ができないので、投稿者が「投稿負担金」を払う。

 私は寄稿全文のワープロ起こしから編集、割り付け、写真、図版を張り付け、寄稿者へのコメントを添えて発行業務担当者に送る。編集・発行2人体制の重要な片腕を買ってでてくれたこの若手は現職の労働者。彼が印刷所との折衝と発送作業を担当する。住まいは足立区。月に一度以上は打ち合わせのために、私の町田まで、残業疲れの合間をぬって来てくれる。「このような運動をしていることが会社に知れるとまずいから」と、覆面である。

 勿論、2人の仕事は無償だ。それを条件で引き受けた。仕事は苛酷だ。現職、退職後を通じて、こんなにきびしい仕事は経験がない。それでもなおここから引けずに私は今、この会の「会長」「機関誌編集責任者・発行人」である。

 「なぜ、それほどまでに」と怪訝に思う人もいる。現職から退職後にかけて10数年、東京民研の『子どもと生きる』の編集に没頭し、そこから解放されたとき妻は「これでやっと家の中がすっきりする」と喜んだものだ。しかし事態はさらに「悪化」した。

 しかし、妻はもう「なぜ、それほどまでに」とは言わない。深夜、私と一緒に「作業」する連日だ。

 なぜか。

 会員のお年寄りたちの不戦への熱い思いだ。何があっても戦争を起こしてはいけないのだという戦後一貫して変わらぬ思いに共鳴するからだ。そしてさらに私をつき動かすものは、彼等の温かい人間性だ。

 今年、いただいた年賀状の一部をご紹介したい。

 相模原在住の老弁護士さんから。この方は18歳9か月で入隊、19歳で「軍隊3か月、捕虜3年」の運命に突き落とされる。「6年前に病を得て、現在療養中」とある。その年賀状、一段大きい字で「感謝とお禮」とある。「本書が若い戦闘未経験者の手によって発行されることに、戦闘経験者の1人として、感謝いたします」

 「感謝とお礼」。私にはこの言葉で十分だ。戦争体験者のこの言葉の奥の深さを知ったのは、かつて小学校現職のころ、6年生に戦争体験の聞き取りをさせたときのことだ。地域の老人ホームへ行った子どもたち、陽が落ちた職員室で彼らの帰りを待つ私のもとへ来て、テープを聞かせてくれた。インパクトの強い話はひとつもない。肉親を戦争で失ったわけではない。戦場で地獄の苦しみを味わったのでもない。ただ淡々と当時の生活を語った。テープが終わって、子どもが言う。「先生、わかるかなあ。この話が終わったとき、おばあちゃんたち泣いたんだよ。先生、何て言って泣いたか、わかる」

 恥ずかしいけれど、私は返事に窮した。失った家族を思い出したわけではない。辛い日常のなかで、時にいがみ合い、いたわり合って肩を寄せ合う苦難の生活を思い出したわけでもない。それなのになぜ「涙」なのか。

 「先生、おばあちゃんたち『みんなよく来て、聞いてくれたね。ありがとう』と言って泣き出したんだよ」

 よく来てくれた。よく聞いてくれた。ありがとう。

 聞き手と語り手の間に、この感情が芽生えることなしに体験の継承は成り立たないと思う。この子たちは卒業式に「いまの大人たちが戦後37年間、平和を守り続けてくれた。これからは僕らが37年間、もっとそれ以上長い間平和を守りつづける」と言って巣立っていった。

 今年の年賀状の老弁護士さんの「感謝とお禮」の文字に、あの子どもたちの真剣なまなざしと老人ホームの方たちの涙が重なった。

 体験のつまみ食いでなく全人格の浸透吸収を

 福島県在住の元通信兵・佐藤貞さん。中国戦線を遍歴し、今も壮健。彼の人柄が溢れた1行の文字を、私は握りしめる。

 「あの辺境の地の極貧の農民たちも、よい正月を迎えられたら嬉しい」とある。

 私は彼の体験記『軍隊まんだら』の連載を昨年機関誌で完結させた。この『軍隊まんだら』の一篇は、朝日ソノラマ発行の『テーマ談話室 戦争』にも掲載されている。

 敗戦後の中国戦線の皇軍はあわれだった。堂々と略奪した進撃中と一変して、敗残兵たちは暗夜に行動を起こし、民家にこそ泥のように忍び込んで食い物をあさった。馬の産地福島育ちのこの佐藤さんは、軍馬の末路にことのほか心を痛めた。餌不足で痩せこけた軍馬が氷雨に打たれていた。「夜中に密殺して食用にしたこともある。骨は土間に埋めた。固い肉を皆で黙々と噛んだ」「中国軍に盗まれ(接収され)た軍馬が、中国の将校を乗せて元気に歩いているのを見て、涙が止まらなかった。これでよかったのだと皆で話し合った」と体験記を寄せてくださったこともある。

 敗残の兵士たちはあてもなく荒野を彷徨い歩く日々もあった。この辺境の大地にへばりつくように生きる極貧の農民からさえも僅かな米を、時には米の種さえ略奪した恥ずべき行為を思い出す。従わぬ農民は殺し、村は焼いた。

 今、彼我の勢力関係は逆転したが、彼ら農民の貧しさは変わらない。

 捕虜作業で支給される飯盒の中身は朝のうちに空になる。それを見た老婆が家から食べ物を持ってきて恵んでくれることもあったという。

 佐藤さんはあの極貧の老婆の村の荒野が忘れられないのだ。「よい正月を迎えられたら嬉しい」と祈るというこの語り部の思いを、私は多くの人に伝えたい。

 「贖罪」などというかっこのいいことはできない。しかし、何かをせずに人生をこのまま終えることはできない佐藤さんは、今、中国大陸の荒野に木を植える運動を始めた。やがて80歳代も半ばだ。

 私たちの会に集う老兵たちは、声高に「経済制裁を急げ」「言っても分からない奴らには断固武力行使あるのみ」などとはけっして言わない。

 佐藤さんの全人格を理解することなく、体験の部分的なつまみ食いをしても継承にはならない。今日につながる生き方を学び、そこから得た教訓を、現在に生かしながら指針とする。私たちの体験継承の目的の一つである。だから「現在」という視点からの発信も多い。「謹賀新年」の下に十五首もの歌を詠んでくださった方から一首。

  拉致解決 侵略続けた中国に
    ぬけぬけ頼る 破廉恥政府

 全人格の浸透、ぶつかり合いなどと口で言うほど簡単ではない。

 数年前、「従軍慰安婦」を大学の授業で取り上げた。教材は歴教協会員で、当時田無一中の教師黒田貴子先生の実践を使った。この時、わずかではあったが「従軍慰安婦」という言葉を初めて聞いたという学生もいた。

 勿論、学生たちはその授業に出てくる「慰安婦」とされた女性を知らず、黒田先生も知らない。あるものは学生たちと私との人間関係だけだ。学生たちが私の授業をどう理解してくれたか、心の奥深くでどう受け止めてくれたか知りたい。私は戦争の語り手であり得たかどうかを知りたい。しかし、それは至難の技だ。「月並み」に感想を求めれば、大学生ともなれば(中学、高校生でも)、「月並み」の感想を数分で書き終えるだろう。「かわいそう」「もし、私だったら……」「せめて、これからの余生を幸せに」「国家はきちんと謝罪し、補償すべき……」

 このような感想では、部分的に欠けた知識が埋まったとしても、全人格をさらけ出したことにはならないだろう。とわかっていても、しかし私は1日3限の授業に出席した学生約400名に、授業の感想、質問をふくめ記録を提出させる。この中から10名から20名選び、ワープロで起こし、わたしのコメントをつけて翌週の授業で使う。

 この日の授業で半端な分かり方をしたのではないだろうと思われる中に、次のような「感想」があった。

「先生、率直に答えてください。そして教えてください。わたしは家族の中で、おじいちゃんが一番好きです。だれよりも尊敬していました。おじいちゃんはよく中国での戦争の話をしてくれました。あのおじいちゃんも、多くの日本兵と同じような行為をして、女性たちの加害者だったのでしょうか。おじいちゃんは最近亡くなってしまったので、聞くこともできません。わたしはどのようにして自分を納得させればいいのでしょう」

 私はこの学生の質問の数倍の紙面を費やしてコメントを書き、翌週の授業に臨んだ。

 いま、学校現場では総合学習などで、地域の人から学ぶ機会が増えた。地域の歴史、暮らし、農業、遊びなど項目別に整理された「協力者リスト」なども用意されているところも多い。そのような名簿で電話をして、教室に呼び、話を聞き、これで聞き取り学習が終わったなどと安易な取組はしないでほしいと思う。

 蛇足になるかも知れませんが、私と冒頭の同人グループ(戦争体験の継承・不戦の誓い「朝風の会」といいます)との出会いは10年ほど前です。

 町田市で満蒙開拓青少年義勇軍をテーマにしたアニメ『蒼い記憶』の上映運動をすすめている時、市内の村西さんという方が、「わたしその体験者なので、実行委員会に入れてほしい」と言ってこられたのがきっかけです。

 村西さんは「朝風の会」の重要メンバーで、機関誌を見せていただき、会員になりました。会長(編集兼務)が80歳を越え、肉体的に困難になり、後継者も全て高齢で会の消滅目前という事態となり私が前会長の後を引き継いだのです。

 また編集発行の片腕となっている若手現職労働者覆面氏は、ブッシュのイラク戦争に反対する集会で知り合った方です。私は「朝風」に入ったおかげで、戦争体験の継承について、実践的に多くを学ぶことができました。

この文章は、雑誌『生活教育』04年2月号より一部削除して転載させていただいたものです。

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